2014年02月25日

〈2〉学校外の居場所づくり

 親が変わることで、子どもが安心して生活できるようになり、元気を回復した子たちが例会にやってくるようになった。例会は月1回しかなく、学校は行きたくないが、毎日あいていて、行きたいとき行けるところがあるといい、とその子たちが言い出した。例会の中でも、片方で、涙・涙で苦しい話が出ると共に、「う
ちでは、おだやかに夏休みみたいに暮らしているのですが、子どもが『友だちがほしい』と言っている。かと言って学校は行けない。どうしたらいいか」また、親からも「家の中でやることをやり尽くして『どっか出かけたい』と言っている」「勉強したくなったけど、学校も学習塾もいやだ、というのをどうしたらよいか」などと話が出された。まずは行くところを探したが、病院と矯正施設しかなく、無いのが幸いしたのかもしれないが、自分たちで学校外の場を創ろう、ということを考えるようになった。こうして、「考える会」の流れから居場所の必要性が持ち上がり、教師をやっていた奥地は、競争と管理の強まる学校教育ではなく、子どもがのびのびと安心して過ごせる、子どもたちで創るような場を実際的に創り出しそのことによって学校を相対化したい、との思いを持っていて、1985年3月に退職し、会のみなさんの協力を得て、居場所を創ることに踏み出す。これが東京シューレである。
 2月に『子どもとゆく』の藤田悟さんの紹介もあり、東十条駅そばの雑居ビルの一室を借りた。はじめOKハウスと名を付けたため、住宅会社と間違っての訪問客もあった。4ヶ月は、会で知り合った子たちがやって来て、無料で子どもサロンを続けていたが、6月24日に東京シューレをオープンさせた。
 それまで、自宅で会の事務・連絡をやっていたのが、その後は、東京シューレに事務局を移すことになり、楽になった反面、前にも増して、相談・来訪・手紙の量が増し、常にいるスタッフは奥地一人で、あと全員ローテーションを組んでの母親や学生さんのボランティアの中で、対応しきれない日々が続いていくのだが、この東京シューレを生み出したことが、後の登校拒否運動には大きな影響を与えて行くことになったと思う。
posted by 考える会 at 14:27| 考える会の歴史