2014年02月25日

〈1〉発足そして1・2年目

 「登校拒否を考える会」の発足には、重要な前史がある。それは、会を呼びかけた奥地が参加していた「希望会」という病院内の親の会が10周年を迎え、「登校拒否・学校に行かないで生きる」の本を刊行した、ということが関係している。希望会は、渡辺位氏のアドバイスを受けながら、登校拒否の親たちの手で自主運営されている国立国府台病院内の自助グループである。「登校拒否・学校に行かないで生きる」は、日本の登校拒否の歴史上、「道を分けた本」として親たちの間で知られる画期的な本である。それまで、治療や訓練の対象であった登校拒否を、否定視せず子どもの在り様を受け止める親たちの手で編纂した最初の本であった。出版されるや否や、ものすごい反響で、自分を希望会に入れてほしい、という要請が相次いだ。しかし希望会は病院内の親の会であり、病院側は認めなかった。そこで、病院外に、会を創り出すことにした。
 私たちは有志数人で新しい会について1983年暮れに相談し、親・夜間中の先生・「わかる子を増やす会」の学習塾の先生など8名で1984年1月準備会をもった。
 障害児教育に関わる親・教師の方々で展開している市民活動に励まされたことも付け加えておきたい。自分たちの問題を自分たちの力で、学び合い、必要な具
体的な支え合いを行い、行政や世の中の差別を取り除こうとしているその動きに、私も加わりながら私たちも始めなければならないと思った。
 2月に、市川で、希望会の親・夜間中の松崎運之助さんらと、登校拒否について肯定的に受け止める日本初の市民集会をもち、400人もの人が集まった。そこに、日常的な会をつくりませんか、というチラシを配り、3月に例会第1回懇談会を開催しておどろいた。90人もの人が来て、自己紹介だけでも大変だった。そこで、次からは、月例会の内容を毎回事務局で検討・準備、実に魅力ある1回
1回だったと思う。4月:元登校拒否の夜間中学の生徒さんのバンド演奏、5月: 登校拒否の子どもによる創作劇、6月:子どもと大人の対話集会、7月:文部省の手引き書を読む、9月:体験者で社会人になった人の話、10月:さよなら学校信仰の大集会、11月:内田良子講演、12月:親の体験談を語る、という調子である。主たるテーマのあとは懇談だが、毎回時間が足りなくて、終了後、飲み会で話し込んだ。飲み会が、50人も60人もなったりして、すごい熱気だった。はじめて来た人が、登校拒否の親の会なんてどんなにじとーっと暗いかと思って参加され、たいてい「カラッと明るい」「自然な、肩の凝らない雰囲気」と、予想とは異なることにびっくりされていた。
 文部省が1983年に出した、登校拒否の手引き書には「子どもの性格と養育者の態度が問題」とあったが、多数の家庭が集まってみると、当てはまらないのではないか、ということが見えてきた。それにとどまらず大きかったのが、閉じこもり、家庭内暴力、拒食・過食、強迫神経症、幼児返りなど、その状態が、なぜ登校拒否に絡んで出てくるか、そういう状態の子とどうつきあっていったらいいか、なども、親のたくさんの経験の出し合いと、講師との学びから、専門家に振 り回されるのでなく、親として考えることができるようになっていった。
 もっとも、問い直されたのは、親の学校信仰であり、子どもの人生は子どものものであり、子どもが登校拒否に直面したとき、この日本社会でいちばんつらいのは子どもであり、親の安心のために登校強制するのでなく、子どもを理解し、受けとめ、家庭を居場所として、その子と共に考えていくということを会では大事にしていった。このころの学校は再登校に躍起であったから、親が教師と同じ立場に立ってしまった場合の子どもの絶望感はすさまじいものがあったが、親が防波堤になることでやっと信頼感が戻ったものだった。
posted by 考える会 at 14:26| 考える会の歴史